浜田省吾の山口百恵との関係は楽曲提供と国鉄のCMソングでのエピソード

2020年10月3日

山口百恵 浜田省吾

t f B! P L
今夜、2020年10月3日(土)21時00分~23時30分
NHKBSプレミアムで放送される「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」。
楽しみにされている方は多いと思います。

わたし自身、山口百恵さんのお名前は知っている程度で、現役時代、そして、この日本武道館公演のことを知りません。

そんな貴重な映像を、1980年10月の引退から40年経った今年、2020年。
山口百恵がさんが1980年10月5日に日本武道館で行った最後のコンサートを一夜限りの特集番組として見ることが出来る喜び。

とても楽しみです。

浜田省吾さんが山口百恵さんへ提供した曲

山口百恵さんの1980年10月5日に日本武道館で行った最後のコンサートで、浜田省吾さんが山口百恵さんに提供した楽曲を歌ったのかどうか気になって、セットリストを調べてみました。残念ながら、1980年10月5日に行われた日本武道館コンサートでは歌われていません。

1977年

AIR MAIL 作詞:伊藤アキラ 作曲:浜田省吾
愛のトワイライト・タイム 作詞:伊藤アキラ 作曲:浜田省吾
PORTBELLOの銀時計 作詞:伊藤アキラ 作曲:浜田省吾

1978年

宇宙旅行のパンフレット 作詞:伊藤アキラ 作曲:浜田省吾
銀色のジプシー 作詞:横須賀恵 作曲:浜田省吾

1979年

BACK TO BACK (背中あわせ) 作詞:篠塚満由美 作曲:浜田省吾
DANCING IN THE RAIN 作詞:横須賀恵 作曲:浜田省吾

プロデューサー酒井政利さん

山口百恵さんのプロデューサーは、酒井政利さんです。1935年11月17日生まれ。84歳。そのお年を知り、83歳の現在でも現役でいらっしゃること。まず、その年齢に驚きました。

そして。アイドル黄金時代に300人あまりのアイドルや音楽グループを送り出したということ。その中の一人が山口百恵さんなのです。

山口百恵さんをプロデュースしたということで、浜田省吾さんと繋がりがあるのではないか。そう感じて検索してみると、ひとつの記事が見つかりました。

そのサイトは、Musicman
Musicmanは、ロードアンドスカイの代表取締役である高橋信彦さんが第137回に登場。
高橋信彦さんから紹介されて第138回に登場したのは田島照久さん。

田島照久さんに紹介されて第139回に登場したのは須藤晃さん。
浜田省吾さんと深い関係にある方が登場しているのです。そして。須藤晃さんに紹介されて第140回に登場したのが酒井政利さんです。

酒井政利さんは山口百恵さんをプロデュースされたことから、山口百恵さんの楽曲を浜田省吾さんに依頼した経緯やイメージを知ることが出来るのではないかと思いましたが、そこには触れられていません。

しかし、思いもかけぬこところで浜田省吾さんの名前を目にすることになりました。

酒井政利さんが男性歌手は浜田省吾でプレゼン

『いい日旅立ち』は決して順風な制作ではなかったですね。あれは私の「わが街」のイントロダクションなんです。これは楽しくできるなと。しかも国鉄のCMだからというので張り切ったんですよ。山口百恵と国鉄って太い路線を感じたんです。これも「男性歌手もプレゼンしてくれ」と言われて、浜田省吾を候補に挙げて、最終的に山口百恵になりました。ただ現実に流れる国鉄のCMって週に1本しかなかったんです。
第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー | Musicman

こんなエピソードがあったとは、驚きでした。
『いい日旅立ち』。山口百恵さんの代表曲。そして、当時国鉄だった時代のCMソング。今でも、耳にすることがある名曲。

もし、浜田省吾さんが国鉄のCMソングを歌っていたら...。 タラレバ。になりますが、今の浜田省吾さんではない、別の人生を歩んでいたかも知れません。

二人の関係は音楽兄弟

浜田省吾さんと山口百恵さんは、ホリプロ所属でした。その関係で、浜田省吾さんは山口百恵さんに楽曲を提供したのですが、音楽兄弟だったのですね。

当時の貴重な資料の投稿がありました。ホリプロ会報「ともだち」でしょうか。

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