ファンサークル「Blue Train Office」 - はじめに / 浜田省吾

2020年9月19日

Blue Train 浜田省吾

t f B! P L
今は昔。
かれこれ40年前の話。

時代は1980年。
1980年から1983年の3年間 ロードアンドスカイ発足以前に「Blue Train Office」が存在していました。

「Blue Train Office」では、2ヶ月に1度手書きの会報が会員に届けられ、浜田省吾さんと会員はとても近い距離にあり、 ファンクラブの集いも活発に行われていたようです。

わたしは、その当時の貴重な会報を、所持されている方から見せていただく機会がありました。
そして、わたしだけではなく、浜田省吾さんを愛する方に見ていただくことができないか。
見ていただく方法を模索していた時期があります。

ロードアンドスカイへ問い合わせ

2016年2月にロードアンドスカイへ問い合わせをした時のメールです。
1980年から1983年の3年間 ロードアンドスカイ発足以前に

Blue Train Officeが存在しており、2ヶ月に1度手書きの会報が会員に届けられていました。

その当時の貴重な会報をデジタル化し、ブログで紹介したいと考えています。
会報には浜田さんの画像や手書きの文字が掲載されているのですが、許可をいただけないでしょうか。

掲載可能な条件(画像以外)を教えていただけるならば、その内容に沿ったものにさせていただきたいと思います。
ご連絡をお待ちしています。


ロードアンドスカイからの返信

わたしが問い合わせのメールを送信したのが、2016年2月4日の正午過ぎ。
ロードアンドスカイからの返信が届いたのは当日2016年2月4日の夜でした。
内容を掲載するのは控えますが、こんな内容でした。

・会報誌の権利は、省吾さん及び編集発行していた夢番地に権利がある
・会報を転載する事は禁止
・画像を除いた場合も同様

ここまで読むと一切禁止のように思われたのですが、こんな言葉もいただきました。
ご自身の言葉で
・こんな会報がありました
・こんな内容でしたといった一部の紹介程度でしたら問題ありません

大変うれしい言葉でした。
ですが、わたし自身の中で、
・どんな内容で
・どんな風に
紹介すればいいのか。それを考えることをしないまま時が流れて現在に至っています。

今年2020年は、新型コロナの影響で、多少なりとも今までよりは時間があります。 この機会に、トライしてみよう。そんな気持ちになりました。

さいごに

トライしてみよう。
そう思ったものの、中身のない 薄っぺらなものになりはしないか。
中途半端に情報を公開していいのだろうか。
そんな気持ちもあります。

逆に、知らなくてもいいこと、知りたくなかったことを掲載してしまったら。
そんなことも考えてしまうと...。
1番の望みは、ロードアンドスカイがオフィシャルでバックナンバーを公開してくれることです。

差し障りのない内容をまとめていき、徐々に追記していこうと思います。
本来であれば、完成した姿で公開するのだと思いますが、どのように変化していくのかをご覧いただき、また、ご覧いただいた方からのアドバイス、資料の提供、ご指摘等があれば、お気軽に問い合わせフォームからメッセージを送信いただければと思います。
お時間があれば、ぜひ足を運んでください。

全24回。不定期更新となります。

初めてファンクラブイベントをやったのは広島

会報222号に書かれていた「初めてファンクラブイベントをやったのは広島」というのは、ファンサークル「Blue Train Office」ではないかと想像しています。
今では考えられないような、浜田省吾さんとファンが一緒に時間を過ごしただけというファンクラブの集いの様子も書かれています。

40年前の出来事を、その当時のことを知らない省吾さんを愛する人達に、その記録を伝えられたら。
どんなふうに 省吾さんを愛する人達が、省吾さんを応援してきたか。
浜田省吾さんを愛する人達に、少しでもお役に立てたら幸いです

さいごに、浜田省吾ファンサークル「Blue Train Office」を見せていただいたR.Kさん、
浜田省吾ファンサークル「Blue Train Office」の記載に際して寛容な返答をいただいた浜田省吾公式ファンクラブ ロードアンドスカイに感謝します。
注:
この画像は「Blue Train Office」の会報とは一切関係ありません。
わたしがイメージとして制作しました。

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